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日記・一般  |札幌市北区

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 › 北の旅烏のひとりごと。 › 郷愁。

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2021年08月22日

古銭。

普段開けない引き出しの中にある昭和の硬貨・・・。

思い出深い訳でもないが年代の古い硬貨を使わず集めていたことがある。
子供のころ使っていた一円札や十円札。そして板垣退助が描かれた百円
札もどこかの引き出しの奥にあったはず。当時を思い出すことといえば
五円玉を握りしめ駄菓子屋さんにアメを買いに行ったことかな。母親に
駄々こね手に入れた硬貨を握りしめ、一目散に店に走って行ったことや
そのころ売られていた「クールミントガム」に描かれていたペンギンの
イラストがいつの間にか微妙に変わっていることに気づいて集めていた
こともあった。そういえば過去に生家がどうなっているか、見に行った
ことがある。ススキノに近いということもあり行くとマンションが立ち
並ぶ変わりように唖然としたものだ。変わっていなかったのはお寺さん
だけだった。よく登って遊んでいた板塀も今はすっかり無くなっていた。
コインを手にすると昔の記憶が蘇ってくる。いつかまた自転車に乗って
出かけたくなってきた・・・。  


Posted by 北の旅烏 at 09:01Comments(0)郷愁。

2021年03月07日

昭和。

新聞に出ていた懐かしい記事・・・。

若かりし頃よく行っていた喫茶店。ここには載っていないが、なかでも
『イレブン』はお気に入りの店だった。静かに流れるジャズに酔いしれ、
コーヒーを口に注ぐと悠久の時間が流れていく。飲んでいだコーヒーは
確か濃いめのマンダリン?だったように思う。たまに寡黙な日比さんと
話がはずむ時もあった。ある日カウンターの奥の棚に無造作に置かれた
鉄道員ランプに熱い視線を注いでいると「よかったらこれ好きなのあげ
るよ」と言って差し出されたことがあった。当時の記憶が曖昧でどこの
アパートに住まいしていたか忘れたけど、持ち帰って磨いていたことを
思い出した。今自宅にあるのは確かひとつだけ。奥の戸棚に置き去りに
なっているけどこれを見るたびあの頃の記憶が蘇ってくるのだ・・・。
  


Posted by 北の旅烏 at 12:42Comments(0)郷愁。

2021年01月07日

お餅。

残ったお餅に目がいき、つい手が出て食っちゃった・・・。(^^;)

小さく小分けしたお餅に砂糖をまぶし、醤油をたらりとかけて口に放り
込んだ瞬間、アチチッ!と皿に戻した旅烏。そういえば子供のころ同じ
ことをして親から怒られていたことを思い出した。最初は笑われていた
けど何度も同じことを繰り返すものだから「バカじゃないの!」と呆れ
顔されたものだ。懐かしさと恥ずかしさが交差するこの出来事に思わず
苦笑いするしかなかった。ここ最近口が淋しくなるとついお菓子に手が
伸びてしまう。でもお餅を食べることでそれまでの空腹が満たされ満足
至極。いまあるお餅が無くなるまでこれを続けようかな?な〜んて思う
旅烏は年甲斐もなく甘ちゃんなのかしらん・・・。(^^;)
次はおしるこを作って食べよう...うん?でも血糖値が上がりはしないか
心配だ。ここは我慢する強い意志を持たねばならぬ。でもきっと数日後
には誘惑に勝てずに食べているだろうな。意志薄弱は歳に関係なく永久
不滅?なのだ。旅烏の場合ですけどね。face03

  


Posted by 北の旅烏 at 08:29Comments(0)郷愁。

2020年11月16日

混乱。

長くつを車庫から出して履き始めたけど、雪が消えてまたスニーカーに
履き替えた。ああ〜面倒臭いな...と言いつつ軽くて楽チンこの上もなし。
できればこのまま春がきてくれたらいいのに。叶わぬ願いは旅烏に与え
られた試練?と思い、雪が融ける来春まで暖めておきましょうか・・・。

雪で思い出すのは石炭ストーブ。夕食前に暖をとりながらお餅を焼いて
食べて叱られた記憶。さらにお腹がふくれるとつい居眠りしてお小言を
頂戴していたものだ。テレビは白黒。想像力を膨らませて見入っていた。
そして今の時代と違ってストーブのある茶の間以外の部屋は冷蔵...いや
冷凍庫状態。だから湯たんぽは欠かせないアイテム。一つのヤカンでは
足りず何度もお湯を沸かさなくちゃならなかった。前にも書いたが石炭
運びは子供の役目だった。せっかく温まったというのに外に出て重たい
石炭を運ぶのは苦痛を伴った。今夜は兄が行く日。ということは明日は
旅烏に順番が回ってくる。親から叱られ泣きべそかきながらの重労働は
酷という他なかった。(今は懐かしい記憶だけどね...。^^;)
これからもっと雪が積もると「かまくら作り」が思い出され、降り続く
中を登下校した遠い昔が走馬灯のように浮かんでくることだろう・・・。

  


Posted by 北の旅烏 at 10:42Comments(0)郷愁。

2020年07月16日

好き。

スーパーのチラシに値段が安いバナナがあるとつい手が伸びる旅烏。

今でも思い出すのは子供の頃、熱を出して寝込んでいた時に母が買って
きてくれたバナナ。甘い香りが食感を通して身体中に染み渡るのを感じ
ながら一気に食べていた。この時ばかりは私には2本食べる権利があり、
熱を出すのもまんざらじゃないと笑顔になっていたように思う。
小学一年生の三学期の頃だったか、街中の木造の家から真新しい官舎に
引っ越して緊張しながら新しい学校へ通うことになる。学校が豊平川が
すぐ側にあり、放課後は川遊びに夢中になっていた。そして石に興味を
覚えたのもこの頃だ。きれいな石を拾い集めては家に持ち帰ると宝物と
して優越感に浸っていた。ある時石を割っていると葉っぱの模様が出て
きた。そうかこれが化石というものなのかと有頂天になった。それ以来
きれいな石だけじゃ飽き足らず、化石探しに夢中になった。だけど見つ
けたのはこれ一つだけ。まちがっても恐竜の化石など見つかる訳がない。
やがて飽きて川へ行く機会が少なくなった。自転車逃避行をしている時
川辺りで休んでいるとふと思い出す幼き頃の記憶。当時を思い出しては
クスッと笑う旅烏がいるのです・・・。(^^;)  


Posted by 北の旅烏 at 08:09Comments(0)郷愁。

2019年12月27日

故郷。

みかんを取り出し食べ始めると、石炭ストーブを囲んで食べた幼かった
頃を断片的に思い出す・・・。

大晦日の夕食は普段とは段違いの豪華な料理が並んだものだ。酒好きの
父はすでに赤ら顔で酔っ払い配膳に手を出しては母から小言をもらって
いた。兄弟3人もちゃぶ台に正座し出てくる料理にくぎ付け。では頂き
ましょうと声がかかると我先にと食べ始めた。普段目にしたことのない
あれやこれを我先にと口に運ぶ。だからお腹が膨らむまでしばらくの間
無言状態が続いていたものだ。やがて背につたわるストーブの暖かさに
眠気が差してきた頃、お風呂タイムとなる。だけど見たいテレビ番組が
ちょうど始まる時だ。後にする?いやお前が先だと喧嘩になったことが
なんどもあった。特にモノクロディズニーアニメは夢中になっていた。
父の転勤で引っ越しも何度かあり、それぞれに記憶に残っている風景が
断片ではあるが懐かしく思い出される。竹の棒でチャンバラごっこした
ことや陣取り合戦で喧嘩したこともあった。隣の家で飼われていた犬に
面白半分でセミの抜け殻をあげたらバリバリと音を立てて食べた光景に
背筋が凍りついたことは今でも鮮明に覚えている。だけど今ではそれも
途切れ途切れになってきた。思い出の切れ端は誇張され、それをつなぐ
ストーリーは霧の中へと吸い込まれていく。箱にしまわれた白黒写真の
当時の自分を懐かしがるのも歳を重ねた証かもしれない・・・。  


Posted by 北の旅烏 at 08:19Comments(0)郷愁。

2017年08月30日

気配。

今朝の空は見事なまでの青空と白い雲が広がっていた・・・

時は疾風の如く移ろいで、足早に去っていく。未練なのか後悔なのか
空を仰ぎ見るほどに、感傷的になるばかりだ。8月も明日で終わりを
告げ、凛とした空気に身震いする日が否が応でも訪れる。枯葉が舞い
散策路を埋め尽くし始めると、やがて生き物の影が消える秋を迎える。
失意の中で浮かぶはやがて来る冬の雪景色。半年もの間モノトーンに
覆わた日常に慣れるには諦めの言葉しか浮かばない。生々流転。なる
ようにしかならないと分かっていても通り過ぎた蒸し暑い日々を思い
出すのは無い物ねだりを繰り返す人間の性なのかもしれないな。
昨日の北朝鮮のミサイル飛来には衝撃を覚えた。津軽海峡を横断して
太平洋に落下したものの、標的にされると逃げようがない。自治体の
混乱ぶりも目についたがこれが慣れっこになる方がより不気味である。
目には目を...は最終手段。北朝鮮の暴走を食い止める知恵を出し合わ
なければならない。戦争になれば一番被害を受けるのは、一般市民で
あることは歴史が物語っている。対話の方法を一番に考え知恵を出す
ことが今こそ必要なのだから。澄み渡った空に飛来するロケット弾の
軌跡はけっして見たくない・・・。


  


Posted by 北の旅烏 at 08:56Comments(4)雑記。郷愁。

2017年06月10日

昭和。

マッチを使わなくなってからずいぶん時が経った。もう捨ててもいい
のだが、今でも引き出しの中で時を刻んでいる・・・。

喫茶店やバーなどに行けば必ずもらえたマッチ箱。お店の宣伝として
重宝していた昭和時代の広告塔である。お店の名前をあげたら切りが
ないのだがジャズにはまっていた若かりし頃は授業が終わると足げく
通っていた。やがて行くたび同じ席にいた常連客とも顔なじみになり
挨拶を交わしてからカウンターの端に座っていた。コーヒーを飲みな
がらマッチでタバコに火をつけ、スピーカーから流れるジャズのメロ
ディーに酔いしれる開放感がたまらなく好きだった。
いつしかマッチから使い捨てのラーターに取って代わり、やがて欲し
かった純銀製のジッポーを手にいれる。フタを閉めた時のカシャっと
鳴る軽い金属音がたまらなく好きだった。なん度も落とすものだから
あちこちが凹んでいるがそれがまた歴史を刻んできたのだと愛おしく
感じてもいた。ただここ何年もジッポーのライターはケースに入れた
ままだ。今はコンビニでタバコをカートンで買うともらえる100円
ライターばかり使っている。使い捨てだから早く使い切ろうと思って
いるが増える一方でして。だから最近ラーターはいらないよと告げて
レジを後にしている。
自室の引き出しの奥には当時の記憶を呼び覚ますためと大切にとって
あるマッチ箱がたくさんある。よく行った喫茶店や洒落たデザインが
好きで捨てるに捨てられないのだ。しかしその店も今はない。過去の
記憶として想い出すだけになってしまった。生々流転とはよく言った
ものですね。でも記憶の中には今でもしっかり残っている。想い出と
その頃の街並みも。狸小路界隈の店も、辺ぴな裏小路にあったお店も
消えはしないのです・・・。
  


Posted by 北の旅烏 at 10:09Comments(5)雑記。郷愁。

2017年05月25日

綿埃。

背に当たる所に置かれた木製の整理棚。その昔、函館のサラリーマン
時代にもらい受け、引越しのたびに廃棄することなくこの棚は現在も
活用しています。先日この上に置かれたストーンペイントが埃にまみ
れているのを目して、除光液できれいに磨いてみました・・・。

これを作っていたのはキャンプ協会のお手伝いをしていた頃。数ある
イベントの中に河原で拾い集めた小石に色をつけるコーナーがあった。
ある時、猫の手も借りたいほど煩雑で人手が足りないからとその講師
役にかり出された旅烏。元来いたずら好きだったこともあって喜んで
引き受け、参加した親子にその楽しさを教えていました。
ただ私が教える立場であっても、子供の発想に目を見張ることも少な
からずあり、その豊かな感性になん度も驚かされたものです。だから
キャンプを重ねるたび、こちらも刺激となって負けるものかと工夫を
こらしていました。石を接着するにはクルーガン(樹脂を溶かし固定
する道具)で石をくっつけ鳥やお魚、自動車に見立て色を塗っていき
ます。中にはこれってなんだろう?みたいな作品でも構いはしないの
ですね。やがて出来上がると子供たちに笑顔があふれてきます。大事
そうに持ち帰る子供たちの後ろ姿にやり甲斐を覚えた記憶があります。
夏休みの工作として胸を張って登校する姿が見えてきましたから。face02
元あった場所へ置くまで当時の光景が思い起こされてきます。途切れ
がちになった記憶が、鮮やかによみがった夕刻時でした...。(^^)  


Posted by 北の旅烏 at 07:30Comments(2)雑記。郷愁。