さぽろぐ

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 › 北の旅烏のひとりごと。 › 追憶。

2016年12月11日

幸せ。

幸せって、心の重しになる引き出しが空っぽになった時かな・・・。

あれやこれやを気づいた時に済ませておかないと、どんどん溜まって
いきますね。やがて怠惰な自分を責め始めると、いつしか堂々巡りの
スパイラルに捕まって何かのきっかけがない限り這い上がれなくなり
ます。私は過去になん度か味わったことがあります。だから落ち込む
前兆に気付くことが多かった。でもその時はすでに遅し。解決方法が
浮かばないのです。気分転換を図ろうにも常に頭から離れない事案が
重石になって後ろばかり見るようになります。

一番ひどかったのは某広告代理店に出向した時。それまでの仕事とは
違い与えられた仕事をこなすのではなく、自分で一から作りださねば
ならないポジションについた時ですね。相談できる人もいなく、営業
から渡される書類には仕上げの日付と時間だけ。他の仕事をこなしな
がら書類に目を通しても無情に時間だけが過ぎていきます。ポツンと
取り残された深夜、堂々巡りが続くとやがて、思考が止まってしまい
自分にはこの先明るい未来は無いと一人落ち込んでいました。
そんな時です、私を救ってくれたのは。一人の新人営業さんが入社し
私の部署に来てはあれこれ今日の仕事の話をしてくれたのです。あの
デザインをお得意さんが気に入ってくれたとか。こうしたいけどどう
思いますかと相談を持ちかけられたり。最初は面倒くさいなと思って
いましたが、やがて頼られることにああ!私の居場所がここにあった
...とそう思いましたその時に。
負の渦から抜け出すには他人の一言で我に帰ることがあります。また
思い切って周りの環境を変えることも大切です。私の場合は、身近に
感じられる営業さんや、家に閉じこもって嫌がる私をかみさんが連れ
出して釣りに連れてってくれたことでしょうか。なん度か行くうちに
それまでのモヤモヤが晴れてきたように感じました。数週間後太陽の
陽射しを浴びたり、草木を愛でている私がいました。この時点でもう
谷底から出ているのも同じで、後は決めたことを一つ一つ順に進めて
いけば良いのです。
思いついた些細なことでも今は後回しにせず、その時にできる範囲で
片付けています。ただ、一人で判断はできない時や時間のかかる事は
問題点をメモっています。その場で整理することでモヤモヤが見える
こともあるのですね。
こんなことを書いているのも過去の記憶をひも解くと今置かれている
現状がなんて快適なのか、と思わずにはいられないのです私の場合は。
日常において好きなことを好きなだけ時間を使うことができるのです
から。だから些細なことで機嫌を損ねる今の自分が情けなくなる時が
あります。過去形で反省ばかりしている情けない自分の頭をポカリと
叩くことも数知れず。(^^;)些細なことでも家族って良いよなと
相手を褒めることを忘れずにいたいものです。これって怒りん坊には
とても大事なこと。今回は私ごとを書き連ねましたが、何かのお役に
立てれればいいな...と思っています。でも皆さんはすでに実践されて
いることでしょうね。つまらんことを書いたかも。たはは・・。face03



  


Posted by 北の旅烏 at 09:22Comments(0)追憶。提案・疑問?

2016年12月04日

未練。

GARAMとの名のインドネシアの煙草。以前お付き合いのあったある方
からお土産にと頂いた品である。何年も前なのにパッケージを開けると
香草を思わせる強い臭いが鼻に突き刺さる。愛煙家にもそれぞれ好みが
異なり、メンソール系が好きな人もいれば強烈なニコチどばどば入れて
いるのが好きなのさと通ぶった御仁もいる。缶に入った両切りピースを
好んでくゆらしていた当時のカメラマン。フィルター付のタバコなんて
お子ちゃまなのさと言いたげに上から目線を感じたものだ。(^^;)
   ※このGARAMにはタールやニコチンの分量は明記されていない。

旅烏は何度か節煙に努めたことがある。段階的にニコチンの量を減らす
パイプ式のそれや我慢の限りを尽くしての節煙。だがどちらも数ヶ月で
元の木阿弥、徒労に終わった。今はニコチン・タールの分量が最低限の
メンソールを(短くて細いそれ)吸っている。しかもタバコの半分ほど
までくると消している。ウィスキーは禁酒を始めてから20日になった。
嗜好品のタバコとウィスキーを同時にやめるにはそれ相当の強い意志と
覚悟が必要だ。幸いにして禁酒は時間がくると口寂しいだけでそれほど
苦痛にはなっていない...と思う。うん?飲みたいんでしょと言われれば
そうよ!そうなのよ〜と言いつつグビドバ飲むかもね。(^^;)
GARAMのタバコは何年も前に封を開け、数本吸っただけで机の片隅に
置いている。捨てるにはもったいないし、気が向くと箱を開けて臭いを
嗅いでは遠き過去の郷愁に思いを馳せている。私が歳とったなと感じる
ときは同時にお付き合いのあったその方もそれ相応の年代に入った筈だ。
今は年賀状のやり取りだけなのだが、いつの日かお会いできたなら焚き
火が赤々と燃えるキャンプ場で談笑に明け暮れた日々を振り返りたいな、
と思っています。過去の記憶は、ふとした瞬間に蘇る・・・のかも。  


Posted by 北の旅烏 at 09:44Comments(0)追憶。

2016年10月27日

拾物。

昨夜、パケ袋と言うのかな?の透明の袋を落とした。中には海で拾った
小さな流木やガラス片、貝殻が入っている。なんとなく懐かしさが溢れ
袋から取り出し机の上に並べてみた。貝殻の裏に拾った日付が3年前の
望来と書かれていた。多分ここへ向かう激坂の手前の海岸で拾い集めた
ものだろう。丘を越える急な上り坂に何度もひるんだ場所。旅烏の6段
変速では到底無理な坂道だ。やがて何度目だったろうか、ここへ来る度
このままではダメだと意を決して登ったことがあった。だがすぐに息が
切れ自転車を降りて歩くことになる。それでもようやく丘を越え眼下に
広がる望来の街を目にすると達成感が湧いてきたものだ・・・。

望来の先へはまだ行ったことがない。海岸線のアップダウンが続くかと
思うだけで怯んでしまった。そして休憩が終わるとまた来るからね...と
帰路に着くのがいつものパターン。激坂も距離がそれ程なければ気力が
勝つこともある。だが登ってもなかなか下りにならないと、あっという
間に降参白旗が常だった。張碓峠越えの先にある小樽もそう。なん度も
途中で引き返していた。我が体力の限界。気力の低下。こればっかりは
如何ともし難く、ここまで来たのだからと我が心を慰めていた。
そして今年の自転車逃避行は2度だけで終わった。肩やひざ裏の筋肉の
張りに不安を覚えてから乗らなくなった。車庫内にはサビが目立つ旅烏
2号がひっそりと置かれたままである。いつもなら隠れ家に持ち込んで
汚れを取りメンテナンスしていたのだが。長年文句も言わず連れ添った
相棒。だからいつの日か必ず手入れをしようと思っています。face02  


Posted by 北の旅烏 at 07:54Comments(0)追憶。

2016年10月12日

宝物。

2年前、豊平川の川岸で貝がらの上に置かれた小さな石が数個あった。
近所の子供だろうか、気に入った石を拾い集めては置いたのだろうと
全部もらっていくのは忍びなく2つだけいただいてきたもの。私にも
経験があります。小学生の頃、川辺で貝殻の化石や金色に輝く結晶を
見つけては小躍りした記憶。家に持ち帰り図鑑で調べて空想の世界に
浸っていた。このことがきっかけだったのだろうか、釣りに出かけた
川でも必ず数個の石を持ち帰っていた。face02

また自転車逃避行で行った先で、何の変哲もない石を拾うのが習慣に
なっていた。その辺の道端に転がっていた石や無人駅の朽ちたコンク
リートの小さな瓦礫。栗山町に出かけた酒蔵ではレンガの破片などを
家に持ち帰り日付を書き込んでは行った証にしていた。自室の棚には
今も数多くの石が置いてある。手に取るとその当時の記憶が鮮やかに
よみがえってくるのです。昨夜これらの埃を拭ってきれいにしました。
まっこれも昔を懐かしがる年代になった性なのかしらん...とね。face03

昨日、手稲山に雪が降ったとニュースで流れました。やがて辺り一面
白い雪に覆われた朝が訪れようとしています。道端の街路樹も日毎に
色付き季節の流転を教えてくれます。泣いても笑っても変わりようの
ない時間だけが流れていく。ただふと立ち止まるそんな一瞬に人間で
ある証を見る思いがします。過ぎし昔。それを懐かしがる心。他愛も
ない記憶の糸が途切れないよう時々手にとっては想い出しています。  


Posted by 北の旅烏 at 09:40Comments(0)追憶。etc...

2016年10月04日

去年。

ちょうど一年前、平和の滝や石狩灯台、そして江別方面から迂回する
自転車の旅をしていた。いま思うと贅沢な悩みとでもいうか、一日の
走行距離が以前と比べ伸び悩んでいた時だ。青空が広がると無理矢理
でも行かなきゃイケんと自転車カバーを外しペダルを漕いでいた。
強めの向かい風に勝つには、その日行くと決めた場所に到達するしか
ない。帰りはうれしい追い風が待っているとそう言い聞かせ、気弱に
なる自分を鼓舞したものだ。

達成感があるから自分を褒めることができる。それが楽しみの一つに
なり次回の走行につながる原動力となる。それと真逆の挫折。これを
何度も味わうと、もう行かないになるか否何がなんでも乗り越えると
力が湧いてくるかのどちらかだ。行くと決めるには青空や微風がその
思いを強くする。疲れが出始めてもまだ見ぬ風景を思い描いて走れる
のだ。走らない日が続くと気力が低下していく。体力は年齢とともに
落ちるのは致し方ないことだが、気力の衰えは中途半端な状態に留め
置くことでさらに意欲を低下させていく。今出来ることを明日伸ばし
すると自分で自分に重しをかけているような不快感が伴う。
記憶が正しければ雨日に出かけたのは1度だけの気がする。走行中に
雨に当たったのは数回あった。風もさることながらそぼ降る雨は心の
中まで濡れた状態にする。泣き言をいう相手もいなし、ペダルを漕が
なければ帰れない。延々と続く郊外の野原。目当ての建物は遥か彼方。
いやまだ見えているだけでマシか。あの橋を渡れば、この激坂を越え
れば公園で雨をしのげるとか。頑張るにはどうしてもご褒美が必要に
なるのだ。さらに途方にくれる筆頭はタイヤのパンク。民家もなにも
ない野っ原のど真ん中でこれに遭遇することだ。最悪の時は自転車を
押して帰らねばならないのだ。それまでパンク修理をしたことがない
私は恐怖のどん底に叩き込まれたことがあった。
自転車を押しながらとぼとぼと歩く。夕暮れが迫る野っ原。後ろから
こちらに向かってくる一台の自転車を見つけ、ワラをもつかむ思いで
自転車屋さんがこの辺にないか聞いてみた。するとこの先の駅の近く
まで行くとあるらしいと。その時希望の灯が見えた気がした。ここを
通る時、お土産を買うお店の定員さんに事情を話すとわざわざそこに
連絡を入れてくれたのだ。神に仏と感謝しきり。おかげで難を逃れた
のである。でもこの日はこの後もう一つのタイヤもパンクに遭遇...と
いうおまけ付き。「なんていう日だ!」今日は厄日か。また自転車を
降り歩いて道先の大型店で機材を借りて一人で直した...うん?直した
つもりと言ったほうが当たっているかも。だから後生だから三度目の
パンクだけはしないでと神に祈りつつゆるゆるペダルを漕いでいた。
無事自宅に着いた時にはもう既に真っ暗になっていた。いろんな事が
思い出される十月。懐かしがるにはまだ早いかもしれませんが...。face03

  


Posted by 北の旅烏 at 12:20Comments(4)追憶。

2016年09月07日

洗う。

1987年7月サイパンと記されているサメの歯の骨格。埃で汚れて
いたので洗ってみた。しばらく洗剤を入れた器にこれを浸していたら
硬い骨なのにいつの間にか柔らかくなり始めていた。まるで昨日手に
した時のような驚きである。ただ歯がいまだに鋭く丁寧な洗いができ
なかったのが残念ではあった。

これを日本へ持ち帰った時、不用意につかんで指を切ったことを思い
出した。持ち上げようとつかんだ所が歯だった。激痛が走り、とほほ
状態。ただこの時は運良くスリ傷程度で済んだのですが、痛みがしば
らく続きました。サメの歯はユニークで、次から次へと奥から伸びて
くる仕掛けになっています。だから折れたり欠けても新しい歯が出て
くるのですね。あの「永遠に不滅」とはこのことを指すのでしょうか。
こんな歯があったら歯科医はいらないのかもしれませんね。face03
確かこの2ヶ月前に某代理店の所長と二人で初のサイパン旅行に出か
けています。一度行くと気が大きくなったのか?今度は一人旅。搭乗
までの時間つぶしにと免税店で買ったバーボンI.W. ハーパー12の
キャップをグラス代わりに一気飲みして、搭乗する頃には相当酔っぱ
らっていたのが懐かしい想い出。またサイパンのとあるバーに一人で
行き米兵とビリヤードをした。確か一回に50セントを賭けたように
記憶しています。全て負けましたけど。無鉄砲な性格は想い出を作る
にはいい手引書かもしれません・・・。(負け惜しみ汗?多々^^;)  


Posted by 北の旅烏 at 08:52Comments(0)追憶。

2016年08月24日

青空。

昨日の午後、待ちに待った青空が顔を見せ始めた。ではでは予定通り
徒歩お買い物に出かけましょうか・・・。(^^)

...と言いつつ家を出ると北の空には黒い雲が広がっているではないか。
帰宅する前に雨になったらたまったものではない。ゆっくり散策する
はずが急ぎ足にならざろう得なかった。首から下げたデジカメ。気の
性か重たく感じる。いつもの定番となったJR学園都市線の高架橋の
下の散策路に向かう。どうせ歩くならここを外して車道を歩きたくは
ないのである。進路方向に見える空は雨上がりの青空に定番の白い雲。
風が凪いでくると生温かい湿った空気が身体中にまとわりつく。ああ
この感触は夏休みが終わる一週間前の記憶。宿題がたまっているにも
関わらずお天気になれば一日中外を駆け回っていた。やらねばとまだ
日にちがあるじゃないかとの葛藤を頭の隅に追いやってトンボやセミ、
そしてバッタを追いかけていた。安物の網は夏休みが終わるころには
もうボロボロ。それでも走り回れることに充実感を見い出していた。
その昔は近所に野原がたくさんあった。ちょっと足を伸ばせば豊平川
にも行けた環境。お隣の家の木塀の背の高さが高学年に近づくほどに
低く感じたものだ。そういえば藻岩山の裾野に田んぼが広がっていた
ように記憶している。どうしてもメダカを捕まえたくて(実際いたの
かは覚えていない)仲間して電車通りを歩いたものだ。でも捕まえる
ことは叶わず、帰路に見た夕日がやけに眩しかった・・・。

何の実か分からないけど、赤い小さな実が散策路の至る所でたわわに
実っていた。この赤い実を自宅に持ち帰って土に植えたら芽が出るの
かしらん...な〜んてね。何でも植えたがる旅烏の好奇心がふつふつと
湧き上がってきた。でも今は、リンゴの成長を見守ることに全神経を
集中させなければならない。他の実にかまっている暇はないのだ。face03  


Posted by 北の旅烏 at 08:52Comments(2)追憶。徒歩散歩。

2016年08月03日

蒸す。

二つあったリンゴの新芽が一つになった。霧吹きで水を与えているの
ですが勢いが強かったのか、それとも限界だったのか茎が曲がり葉が
枯れ始めていたのです。まっしょうがない、よく頑張ったねと引っこ
抜いて捨てました。もう一つの葉は元気そのもの。新たな緑が生まれ
ようとしています。栄養剤を数日間隔で与えていますので、このまま
枯れずに育って欲しいと願っています。

蒸し暑く湿った空気が次から次へと北国を覆って動きません。いくら
扇風機を回そうが生ぬるいだけ。Tシャツが肌にべとつき、不快感が
半端ない。脱ごうにも肩に激痛が走り、張り付いたTシャツが離れず
癇癪増発。大声罵倒。でもやがて冷静さを取り戻しその時ズタズタに
切り裂かずによかったと苦笑いの旅烏がいるのです。face03
ニュース映像で流れた東京周辺での頻発激雨。街が壊滅するのではと
思えるほどのゲリラ豪雨が発生しています。気圧の不安定さが起こす
異常気象とか。それと全てをアスファルトで覆い尽くしたことも一因
らしく、またクーラーから出る熱が逃げないのでますます気温が上昇
すると悪循環の繰り返し。けっして住みよい街とは思えない。
学生時代、東京下宿生活をしていた半年間の頃を思い出します。ある
日の夕暮れ時でした。ぼんやりと外を見ていたら、突然真っ黒な雲が
近づいてきたかと思うとあっという間に大粒の雨が降り出したのです。
この時、視界が遮られるほどの集中豪雨。さらにアスファルトに叩き
つける雨音の凄まじさといったらなかった。ああこれが東京の夕立と
言うものなのね...と妙な感慨を抱いたものです。そしてよく聞いては
涙を流すほど笑ったラジオ深夜番組の「パックインミュージック」も
思い出します。今は亡き野沢那智さんと相方のチャコちゃんのトーク
ショーが絶妙で、勉強もせず朝を迎えてばかりいました。(^^;)  


Posted by 北の旅烏 at 10:00Comments(2)追憶。

2016年08月02日

多湿。

ここのところ湿度がめっちゃ高く、おまけに風が吹かない日が続いて
います。太平洋に居座る高気圧が南から湿った空気を送り込んでくる
のでこの現象が起こるのですね。そろそろ勘弁して欲しいと懇願多々。
まっそうはいってもこの暑さが終わりを告げ、盆踊りが開催されると
一気に夏の終焉を迎える秋の気配が漂ってきます。一年のサイクルの
なんと早いことか。今夜は日延べした花火大会が開催されます。浴衣
姿の老若男女が大勢して豊平川河畔に繰り出すことでしょう。

旅烏が最後に行った花火大会はいつ頃だったか。娘がまだ幼いときは
マンションのベランダのビル群の隙間から見える大玉の花火をロック
ウィスキー片手に酔っ払っていました。あの頃の私は意気軒高で毎日
バリバリ仕事をこなしていました。ただ当時からフリーの身であった
ために未来に不安を抱えていたのも事実。まっそうはいっても酔いが
まわるほどに華麗な花火とともに忘れよう忘れたいとグラスを空けて
いました。そんな中あこがれの?東京の仕事が舞い込んで機上の人に。
打ち合わせでは対馬での仕事もあって気分が高揚していたのを覚えて
います。テンションは否が応でも上がりっ放しで、人の言うことには
耳を傾けず突っ走っていたと。でもそんな私でもいいようのないジレ
ンマがあったのですね。特に一人でいるときは。東京での仕事を終え
羽田まで送ってもらった時に目にした高層ビル群の夕景は、いまでも
脳裏に焼き付いて離れません。若かりし頃のいい時代だったと今では
苦笑しています。そしてあのハチャメチャなバブルが弾けたのはそれ
から間もなく。ほろ苦い一コマが花火の音とともに想い出されます。  


Posted by 北の旅烏 at 06:47Comments(0)追憶。etc...

2016年07月29日

郷愁。

琴似駅手前の一角で見かけた食べ物屋さん。メイン通りが手前なので
裏手が丸見えのモルタル造りの昭和色。木造なら古いのが当たり前と
意に介さないのですが、モルタルはそうはいかないうら寂しさがあり
ます。小学校から中学高校と住まいした家が(官舎)この造りだった。
だからか年季が入るほどに黒ずんでいく壁が記憶の中に停滞している。

ただ小学校へ上がる前は木造の平屋建てが当たり前だった。隣近所も
似た造りで、モルタルやレンガ造りの家は別世界の人間が住んでいる
ところと信じきっていたように思います。小学1年の三学期に初めて
引っ越した先の裏庭の奥に瀟洒なレンガの家があった。記憶が断片的
ですが、米兵さんが住んでいたように思います。だからか家に招かれ
入った広々とした居間にはソファーがあり、暖炉のような見たことが
ない空間にただ唖然とした感覚がありました。その家には行ったのは
一度だけでしたがやはり異次元空間としか記憶にない。高校に上がる
ころ2度目の引越しで二階がある家になった時のこと。階段が珍しく
上がったり降りたりと有頂天になっていました。そうそう二階の奥に
物置小屋のような小さな部屋があり、ここを秘密の基地にして模型を
作って遊んでいました。小さな窓から見える風景が、と言っても隣の
住宅だけなのですが切り取った一枚の絵のように見えていました。
独立してからは引越しの回数ごとにアパートからやがてマンションに
移り住むとエレベーターが常設されていて、テンションが嫌が応にも
上がったものです。雨の降る日は過去を振り返るには好都合。灰色の
空と窓につたう雨だれは、夏休みに入った小学生の頃の失望感を呼び
起こします。なんで休みの初日から雨が降るんだい!とため息ばかり。
遊びに行きたくても出られない苛立ちを、どこにもぶつけられなくて
お菓子をつまんでは外を見ていた。週末までこんなお天気が続くとか
出てます。早朝家を出たそこにカバーをかけられた旅烏2号が黙せず
たたずんでいます。毎朝つぶやくごめんねの言葉。もう2ヶ月乗って
いない体たらくを恥じて隠れ家に出る毎日。いかんな〜これでは。face11  


Posted by 北の旅烏 at 08:23Comments(2)追憶。徒歩散歩。