回想。

北の旅烏

2016年05月16日 11:10

さて、癒し空間の中島公園から雑踏の中へ出ましょうか。  (最終章)

逃避行の帰り道、サイクリングロードや堤防から出る時決まって感じる
気だるさが押し寄せてきます。そして車道を走る緊張感と、車道わきの
小砂利を踏む振動が続くとパンクの心配が頭を持ち上げてくるのですね。
堤防の未舗装よりも都会の中の雑多な破片の方が要注意。なん度これに
泣いたかしれませんから。こればっかりは毎年変わることがないのです。

愚痴っても帰れませんね。のどかな新緑の木々を見て気持ちを入れ替え
ましょうか。このまま北上するのは面白くないと、行啓通へ入りました。
小中学校へ通っていた頃の懐かしい佇まいが今でも残っています。ただ
あらかたはビル群に変貌し、記憶の糸がからまりそう。(^^;)

石山通りに出る前に狭い道を進みます。南5条の生まれた場所まで来た
とき、さらに混乱してしまいました。工事中で道がふさがれていた性も
あったのですが、記憶の風景がさらに変わっていたのです。何度もぐる
ぐる回り道を繰り返す旅烏。でも行きあたらない。諦めようと違う道に
出たときでした。うん?これって小さい頃よく見たことがあったような
建物が目に入りましたよ。昭和真っ只中の木造家屋ですね、これ。今は
誰も住んでいないようです。この外観はうっすらと見覚えがある。何か
売っていたお店だったと。この近くにはミトキ会館なる映画館があった。
火事で焼失したが、その時は私はまだ小学校に上がる前。火の粉が家の
近くまで飛んできた記憶がある。石炭ストーブ全盛時代。純白の新雪が
翌日にはすすけて灰色になっていたな。今の某国となにやら似ています。
やがて石油ストーブに替わり、そして路面を削るスパイクタイヤが禁止
となって今のスタッドレスタイヤが生まれたのも健康被害のこのことが
あったから。マスク姿のサラリーマンをよく見たものです、この頃は。

時間がとうに過ぎている。この後石山通りに出ることにします。目的の
某スーパーへ行ってのお買い物が待っていますから。店内に入ると相変
わらずの混雑ぶり。あれこれ見繕うのをヤメて目的のものをカゴに入れ
即レジへ。この後は新川散策路に咲く八重桜をチラ見しながらご帰還と
相成りました・・・。

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