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 › 北の旅烏のひとりごと。 › 追憶。

2019年11月03日

笑顔。

今日は文化の日。明日の振り替え休日を入れて3連休。会社勤めをして
いる方にとってなによりのご褒美。青空に誘われて家族で街へ繰り出し
買い物三昧する方も多いでしょうね・・・。(^^)
旅烏は毎日が休日みたいなもの。だから暇に任せてぶらり散歩や近所の
お店に出かけて夕食の買い出しが日課になっています。枯葉が舞う中を
歩くのも最初のうちは新鮮に感じますが、葉の落ちた木々はやがてくる
冬を思わせます。雪かきショベルの出番はまだ先ですが覚悟しなくちゃ
いけません。間近に迫った半年間の雪との格闘。豪雪に涙目になる日を
指折り数えて?いまから心の準備をいたしましょうか。(^^;)

階段に放置されていた?「猫バス」くんは、今では旅烏の部屋で笑顔を
振りまいています。猫バスと目が合うたび、買った当時が思い浮かんで
懐かしさがこみ上げてくる。娘がまだ幼いころ、誕生日のお祝いとして
これを買った。今はもうないデパートで偶然見かけて旅烏自身が欲しく
なったぬいぐるみ。でも当時の私にとってはあまりの値段の高さになか
なか手が出なかった。そこで思いついたのが娘のお祝いにと理由付けて
買うこと。これなら多少の無理も神様が許してくれると大枚をはたいて
買ったのです。あれから時が流れ、置く場所も気のむくままにいろいろ
変わった。でも猫バスくんの笑顔は当時と変わらず今も健在です。face02
  


Posted by 北の旅烏 at 08:00Comments(2)追憶。

2019年10月10日

飯場。

来るべきものが新聞に載った・・。
観念していたけれど、新聞の一面に掲載されるときれいと思うどころか
ため息がもれた。そして大雪山の紅葉に若かりし頃のバイト生活が思い
出され、乏しくなった記憶の底から当時の情景が断片的に浮かんできた。
紅葉
40日間の過酷な労働。ニコンの一眼レフを買うための飯場生活。毎日
寝床でインスタントコーヒーを飲みながら、メモ帳に帰る日を逆算して
いた。帰宅したのはたしか9月初旬だった筈。同じ仲間が次々と帰って
いく中、私だけが取り残されたような失望感が日増しに大きく膨らんだ。
だけど途中で帰ろうにも4キロ近くある山道を歩いて降りなくてはなら
ない。さらに中途半端で諦めたらカメラどころか後悔の念が一生付きま
とっただろう。時は流れ、そのカメラは今ではケースに置かれたままで
深い眠りについている。この季節になると若かりし頃のほろ苦い記憶が
今も鮮明に思い出される。ただし途切れとぎれだけどね。(^^;)  


Posted by 北の旅烏 at 07:03Comments(0)追憶。

2019年02月08日

突風。

今朝の気温はマイナス二桁。やはり侮れない北国の二月・・・。
昨夜は猛吹雪が北国を襲った。身支度をすませ、雪かきの難儀さを思い
ながら外に出た。するとなんだこの冷たさは。寒いを通り越した空気の
冷え込みに思わず「ううっ!痛い」と叫んでいた。やはり侮れない二月。
温暖な日々に慣れてしまった危うさを肌で感じた朝だった。

ただ幸いなことに今日排雪業者が来る日。ぎゅっと固まった雪の塊りを
車庫の前に集め隠れ家へと向かった。部屋のストーブのメモリを上げて
暖をとる。今も時折猛吹雪になって窓外が真っ白でなにも見えやしない。
ふと思い出した子供のころ。猛烈な吹雪が収まらず、午後の授業を中断
して集団下校したことが何度かあった。その時は家に帰れるうれしさに
お昼からなにをして遊ぼうかと小躍りしたものだ。ただ記憶は断片的で
いつも同じシーンしか浮かんでこなくなった。
自転車に乗って遠出を繰り返していた頃ふと過去に住んでいた家巡りを
してみようと出かけたことがあった。生まれた家。小学生の時に住んで
いた家...。当たり前だけど当時の面影は消えてなにも残っていなかった。
ただ記憶に残っている小路やお寺はまだあり、ここで遊んだ記憶が少し
づつ蘇ってきた。受験時代に半年間住んでいた東京の南台のアパートは
今でもあるのだろうか。これから先、突風のごとく記憶が吹き飛ばされ
なければいいのですが、こればっかりはどうしようもない。(^^;)  


Posted by 北の旅烏 at 09:12Comments(0)追憶。

2019年01月26日

飾り。

使うことがなくなったショットグラス・・・。
若かりし頃は、毎夜ススキノに出かけては飲んだっくれてクダをまいて
いた。通い始めた頃は国産のウィスキーを飲んでいたが、棚に置かれた
横文字のボトルに興味が湧き始める。マスターに聞くとこれはバーボン
だと言う。当時テレビで見ていた西部劇に出てくる一気飲みのシーンが
浮かんできた。するとマスターが「飲んでみて...」と頼みもしないのに
ショットグラスに注いで私に差し出した。アルコール度数の高い強烈な
味が喉を刺激する。と次の瞬間、ほのかに香るビートの旨味を感じ始め
これを境にバーボンを愛飲するようになった。

最初の頃はジム・ビーム。月初めで懐具合がいい時は数段値の張るIW
ハーパーになった。ただこれに馴染むと見栄っ張りの心が災いして前に
戻れないジレンマに陥ることになる。キープしたボトルの残量が少なく
なるとマスターが気を利かせてこちらから頼む前にボトルを入れてくれ
るしね。それが馴染み客の特権などと変な優越感に浸っていた気がする。
バブル全盛期のころには葉巻の味にステータスを感じながらバーボンで
酔いしれ、帰りのタクシー代に気にもとめずの毎日だった。
いま思うと図々しいのだがお店で出されたショットグラスが気に入ると
駄目元でねだってもらい受けたりもしていた。左側のショットグラスは
某ホテルで。右側は馴染みだったカフェバーの店長から強引にもらった。
あれから時が流れ、今ではキャラの住まいとなっている・・・。
  


Posted by 北の旅烏 at 10:46Comments(2)追憶。

2019年01月16日

片隅。

キッチンの隅に置いたままになっていた塩のかけら・・・。

これをもらい受けた当時の記憶が断片的すぎて何年前だったか思い出せ
なかった。とりあえず自室に持ち込み過去のノートを調べてみることに
した。確か家族して旅行に出かけたのは秋が迫る頃だったはず。8月と
9月を重点的に見ていくとすぐ見つかった。行ったのは2012年9月
中旬。場所は支笏湖のとある観光ホテル。もう6年以上も前だった。
その時夕食に出た小さいけど肉厚のステーキがびっくりするほど美味し
かったのだ。この岩塩はその肉にふりかけて食べるためのもの。小さな
すりおろし器で削り食べ始めると思わず「うわ〜なんて旨いんだ!」と
声が出るほどだった。いままで経験がない肉の柔らかさと濃厚な旨味が
口いっぱいに広がり感嘆符が止まらなかった。だからこの旅行での思い
出というと肉のことばかりでして・・・。(^^;)
世の中にこんなに美味しい肉があるのだと脳にイップットされて今日に
至っている。食事後、肉の産地を聞いたように思うのだが定かじゃない。
旅烏が経験した北海道の美味しい牛肉のイメージは白老牛なので、多分
そうじゃないかと今でも思っている。

  


Posted by 北の旅烏 at 09:14Comments(0)追憶。

2018年11月26日

郷愁。

先日ふと小学校時代のアルバムが見たくなってクローゼットの中を探し
まくった。たしかこの段ボール箱に入れていた筈と開けてみたが入って
いなかった。いつもならここで諦めるのだがこの日に限って奥の奥まで
引っ張り出す。すると年季の入った古いお菓子箱が出てきたではないか。
おおっ!これだ。間違いない。埃を払いながら茶封筒を開ける。すると
出てきましたねモノクロ写真に写った幼き頃の自分が。やがて見る程に
当時の記憶が蘇ってきた。ラケットを持った彼はたしか隣の家のKくん
だったように思う。板塀のある家は...う〜ん思い出せない。一心不乱に
いちごを食べてる懐かしい写真は、小学校高学年だったように記憶して
いる。ブラウン管の白黒テレビもその当時は最新式だった。ダイヤルを
ガチャガチャ乱暴に回すと親からよく怒られていたっけ。録画機能など
無かった時代。だから見逃すと後悔する...とお風呂に入る順番が来ても
後で入ると頑として譲らなかった。「ローハイド」「ディズニーアニメ」
「パパは何でも知っている」などが大好きで、毎週必ず観ていたものだ。

当時は娯楽というものが今ほど無かった時代。だから自分で工夫するか、
日が暮れるまで外で遊ぶかしかなかった。夏はトンボやセミを追っかけ
冬はかまくら作りばかりしていた。勉強机はあったけどほとんど漫画の
キャラばかり描いていた気がする。それも教科書の余白にね。(^^;)
そうそう写真の他に当時の(中学生の頃かも?)ノートが一緒に入って
いて、ページをめくるほどに懐かしさと昔の記憶が蘇った。ただ記憶が
欠落し、思い出せないものもかなりあった。さらに小学校のアルバムに
至っては顔を見ながら記憶をたどっていっても思い出せるのは数人だけ。
歳はとりたくないが、こればっかりはいくらあがいても無駄と清くあき
らめるに限りますね。この日は追憶そして郷愁に耽った夜でした。  


Posted by 北の旅烏 at 11:07Comments(0)追憶。

2018年08月22日

雷鳴。

すぐそばで恐怖の稲光が頻発する朝を迎えた・・・。

怖いですね雷の閃光と激しい音。そして降りしきる雨足。思い出すのは
子供の頃。ひとり留守番の日に限って雷が鳴り響いていた。今のように
避雷針などというものは無く、背の高い建物も街中にしかなかった時代。
降りしきる窓外をぼんやりと見つめながら早く帰ってきてと願っていた。
だけど稲光は容赦しない。これでも喰らえといわんばかりに攻め立てる。
この世の終わりを告げるような恐怖に膝を抱え小さくなって怯えていた。
やがて雷鳴が遠くにいき始めると先ほどまでの凄まじい雨足もしだいに
弱まってくる。もう大丈夫かな?と窓を開け、むっと湿った空気に一息
ついていたものだ。紫陽花の葉の裏に避難していたでんでん虫もきっと
怖かったことだろう。やがて夕刻が迫り、辺りが暗くなり始めた頃まで
ひとりぼっちが続いていた。夕食の団欒ではこの日の凄まじい雷の話で
おおいに盛り上がった。「お前ひとりで泣いていたんじゃないの?」と
いじわるそうに兄が言う。「そんなことない。絶対ない」と意地っ張り
精神で対抗するも「涙の跡が付いているよ...」と横から妹に言われると
黙るしかなかった。ブラウン管のテレビで見たディズニーの白黒アニメ。
お風呂の時間が来るとお前が先だ、いや俺じゃないとまたひと騒動持ち
上がっていた。懐かしくもあり、ほろ苦い記憶が蘇ってくる・・・。  


Posted by 北の旅烏 at 08:33Comments(6)追憶。

2018年08月17日

肌寒。

気温が急激に下がり、迷わず長袖シャツを着込んだ・・・。

寝苦しかった日が続いていた北国だったが、昨日の最高気温は20度に
届かなかった。この急激な気温変化に体が怯えている。ここ最近外出も
近場の同じ道しか歩かなくなった。夏になると農試公園や北大構内へと
出かけていたのに。行こうと決めても、曇り空とか面倒臭いが先に立ち
出不精三昧。今だけしか見れない草や木がやがて枯れ始めてくることだ
ろう。嗚呼絶句な〜んて言っている場合じゃないよね。雪が降ってきて
から後悔懺悔してみたところで季節が逆転するでもなし。曇り空だから
こそ見栄えする何かがあるはず。そう思わなくちゃ〜やってられんのよ。
傘をさしてまで行きたくないがひょっとしたらアリやでんでん虫くんに
会えるかもしれない・・・。
子供たちの夏休みもそろそろ終わる。小学生だった時なにが嫌だったか
といえば二学期の気の遠くなるような長がい日々。今度の休みの冬休み
まで4ヶ月もあるんだもん。ため息つきながら机に突っ伏し、始業式を
迎えていたものだ。ただ友だちと遊べる楽しさがあったので数日後には
けろっと忘れることができた。当時は木造だった小学校。二階角の音楽
教室が5・6年生の時の教室だった。この頃は変声期前で2オクターブ
以上の高音がいとも簡単に出ていた。だから人前で歌うのはへっちゃら
だった。雪が積もるとクラス対抗の雪像作りがあった。我々のクラスは
確かお相撲さんを作っていたように思う。当時、巨人・大鵬・卵焼きが
世間に知れ渡ったころだ。今でもあれこれ思い出すことができる。  


Posted by 北の旅烏 at 10:30Comments(5)追憶。

2018年07月21日

財布。

カルチェの二つ折り財布。買ったのは今から30年前だったか。当時は
連日仕事に忙殺され徹夜も日常茶判事だった。だから通帳残高がうなぎ
のぼりで増えていった。使う暇がないのである。フリーランスになって
数年後ようやく仕事が軌道に乗り始め頃だから、今まで目にしたことが
ない金額に有頂天になるのも早かった。ある日街中で憧れのカルチェを
見つけ自分へのご褒美にと買った。新品ではなかったがそれでも万札が
飛んでいった。これを後ろポケットに入れるたび貧民生活からようやく
脱出できた気がして笑みがこぼれたものだ。

そういえば同じころドロップハンドルの自転車も衝動買いで買っていた。
今のように遠出する気はさらさら無くマンションから職場まで通勤用に
利用していた。休みの日は、レコードから流れるジャズを楽しみながら
酔いつぶれるまでバーボンを飲んでいた。場所がススキノに近いことも
あって、ネオンの明かりがやけに艶かしく心に沁みたものだ。バブルの
全盛時代の申し子とでも言えるカルチェのお財布。年季が入ってきたが
頑丈そのもの。これを手にするとあの頃の自分を思い出し、懐かしさと
恥ずかしさが交差しながらも元気があったな...とね。(^^;)

  


Posted by 北の旅烏 at 08:19Comments(2)追憶。

2018年05月10日

文鎮。

この文鎮(ぶんちん)は、今は亡き義父からもらったもの。カミさんと
結婚したころ実家の棚に二つ飾ってあった。作者は佐藤忠良さん。私が
大好きな彫刻家でこれが欲しくてたまらなかった。何度か行くたびその
思いが強くなる。そんな私を見ていた義父がある日「一つあげるよ」と
笑顔で言ってくれた。今は隠れ家のパソコンの前の目につく場所に置き、
目が合うたび語りかけている・・・。

旅烏が二十歳過ぎの若いころ彫刻家の本田明二さんに彫刻の手ほどきを
してもらったことがあった。その頃の私は彫刻家を目指していた訳では
なかったが、授業の一環で特別講師として招かれ手ほどきしてもらった。
同じように水彩画家の繁野三郎さんにも透明なビンの描き方を指導して
いただいた。透明なビンを描けなくて苦戦している私に語ったひと言を
今でも鮮明に覚えている。「透明感を出すには描き過ぎてはいけないよ。
背景を描くことでガラスの透明感を出せばいい」と余白に一筆で描いた
ビンが一瞬にして透き通ったのだ。あまりの早技にあっけにとられる程。
それからというものビンを描くことが大好きになっていた。
繁野三郎さんの描く円山界隈の自然描写は、漂う空気感がまったく違う。
さりげなく描かれている筆使いは、まるで神の領域に入っているように
感じたものだ。いまでもたまに水彩画を描くことがあるが、まだ未熟で
つい描き過ぎる癖が治らない。自然描写は簡単に見えて奥が深いのだ。
  


Posted by 北の旅烏 at 07:49Comments(3)追憶。