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 › 北の旅烏のひとりごと。 › 追憶。

2018年08月22日

雷鳴。

すぐそばで恐怖の稲光が頻発する朝を迎えた・・・。

怖いですね雷の閃光と激しい音。そして降りしきる雨足。思い出すのは
子供の頃。ひとり留守番の日に限って雷が鳴り響いていた。今のように
避雷針などというものは無く、背の高い建物も街中にしかなかった時代。
降りしきる窓外をぼんやりと見つめながら早く帰ってきてと願っていた。
だけど稲光は容赦しない。これでも喰らえといわんばかりに攻め立てる。
この世の終わりを告げるような恐怖に膝を抱え小さくなって怯えていた。
やがて雷鳴が遠くにいき始めると先ほどまでの凄まじい雨足もしだいに
弱まってくる。もう大丈夫かな?と窓を開け、むっと湿った空気に一息
ついていたものだ。紫陽花の葉の裏に避難していたでんでん虫もきっと
怖かったことだろう。やがて夕刻が迫り、辺りが暗くなり始めた頃まで
ひとりぼっちが続いていた。夕食の団欒ではこの日の凄まじい雷の話で
おおいに盛り上がった。「お前ひとりで泣いていたんじゃないの?」と
いじわるそうに兄が言う。「そんなことない。絶対ない」と意地っ張り
精神で対抗するも「涙の跡が付いているよ...」と横から妹に言われると
黙るしかなかった。ブラウン管のテレビで見たディズニーの白黒アニメ。
お風呂の時間が来るとお前が先だ、いや俺じゃないとまたひと騒動持ち
上がっていた。懐かしくもあり、ほろ苦い記憶が蘇ってくる・・・。  


Posted by 北の旅烏 at 08:33Comments(6)追憶。

2018年08月17日

肌寒。

気温が急激に下がり、迷わず長袖シャツを着込んだ・・・。

寝苦しかった日が続いていた北国だったが、昨日の最高気温は20度に
届かなかった。この急激な気温変化に体が怯えている。ここ最近外出も
近場の同じ道しか歩かなくなった。夏になると農試公園や北大構内へと
出かけていたのに。行こうと決めても、曇り空とか面倒臭いが先に立ち
出不精三昧。今だけしか見れない草や木がやがて枯れ始めてくることだ
ろう。嗚呼絶句な〜んて言っている場合じゃないよね。雪が降ってきて
から後悔懺悔してみたところで季節が逆転するでもなし。曇り空だから
こそ見栄えする何かがあるはず。そう思わなくちゃ〜やってられんのよ。
傘をさしてまで行きたくないがひょっとしたらアリやでんでん虫くんに
会えるかもしれない・・・。
子供たちの夏休みもそろそろ終わる。小学生だった時なにが嫌だったか
といえば二学期の気の遠くなるような長がい日々。今度の休みの冬休み
まで4ヶ月もあるんだもん。ため息つきながら机に突っ伏し、始業式を
迎えていたものだ。ただ友だちと遊べる楽しさがあったので数日後には
けろっと忘れることができた。当時は木造だった小学校。二階角の音楽
教室が5・6年生の時の教室だった。この頃は変声期前で2オクターブ
以上の高音がいとも簡単に出ていた。だから人前で歌うのはへっちゃら
だった。雪が積もるとクラス対抗の雪像作りがあった。我々のクラスは
確かお相撲さんを作っていたように思う。当時、巨人・大鵬・卵焼きが
世間に知れ渡ったころだ。今でもあれこれ思い出すことができる。  


Posted by 北の旅烏 at 10:30Comments(5)追憶。

2018年07月21日

財布。

カルチェの二つ折り財布。買ったのは今から30年前だったか。当時は
連日仕事に忙殺され徹夜も日常茶判事だった。だから通帳残高がうなぎ
のぼりで増えていった。使う暇がないのである。フリーランスになって
数年後ようやく仕事が軌道に乗り始め頃だから、今まで目にしたことが
ない金額に有頂天になるのも早かった。ある日街中で憧れのカルチェを
見つけ自分へのご褒美にと買った。新品ではなかったがそれでも万札が
飛んでいった。これを後ろポケットに入れるたび貧民生活からようやく
脱出できた気がして笑みがこぼれたものだ。

そういえば同じころドロップハンドルの自転車も衝動買いで買っていた。
今のように遠出する気はさらさら無くマンションから職場まで通勤用に
利用していた。休みの日は、レコードから流れるジャズを楽しみながら
酔いつぶれるまでバーボンを飲んでいた。場所がススキノに近いことも
あって、ネオンの明かりがやけに艶かしく心に沁みたものだ。バブルの
全盛時代の申し子とでも言えるカルチェのお財布。年季が入ってきたが
頑丈そのもの。これを手にするとあの頃の自分を思い出し、懐かしさと
恥ずかしさが交差しながらも元気があったな...とね。(^^;)

  


Posted by 北の旅烏 at 08:19Comments(2)追憶。

2018年05月10日

文鎮。

この文鎮(ぶんちん)は、今は亡き義父からもらったもの。カミさんと
結婚したころ実家の棚に二つ飾ってあった。作者は佐藤忠良さん。私が
大好きな彫刻家でこれが欲しくてたまらなかった。何度か行くたびその
思いが強くなる。そんな私を見ていた義父がある日「一つあげるよ」と
笑顔で言ってくれた。今は隠れ家のパソコンの前の目につく場所に置き、
目が合うたび語りかけている・・・。

旅烏が二十歳過ぎの若いころ彫刻家の本田明二さんに彫刻の手ほどきを
してもらったことがあった。その頃の私は彫刻家を目指していた訳では
なかったが、授業の一環で特別講師として招かれ手ほどきしてもらった。
同じように水彩画家の繁野三郎さんにも透明なビンの描き方を指導して
いただいた。透明なビンを描けなくて苦戦している私に語ったひと言を
今でも鮮明に覚えている。「透明感を出すには描き過ぎてはいけないよ。
背景を描くことでガラスの透明感を出せばいい」と余白に一筆で描いた
ビンが一瞬にして透き通ったのだ。あまりの早技にあっけにとられる程。
それからというものビンを描くことが大好きになっていた。
繁野三郎さんの描く円山界隈の自然描写は、漂う空気感がまったく違う。
さりげなく描かれている筆使いは、まるで神の領域に入っているように
感じたものだ。いまでもたまに水彩画を描くことがあるが、まだ未熟で
つい描き過ぎる癖が治らない。自然描写は簡単に見えて奥が深いのだ。
  


Posted by 北の旅烏 at 07:49Comments(3)追憶。

2018年03月20日

雪融。

アスファルトが顔を出し、雪が少なくなり始めてきた。

陽射しが強くなって、日ごとに雪が減っていくのがよく分かる。明日は
春分、お赤飯の日?な〜んちゃって。子供の頃は祭日が来るとめっちゃ
喜んでいた。近所の原っぱに行って、やわらかい雪を丸めてはその辺に
転がっている空き缶を的にして遊んでいた。それに飽きてくると今度は
小さな雪だるまを作り集まってきた友らと当てっこをしていた。祭日は
子供にとってお年玉みたいなもの。しかも暖かい陽射しが増える雪融け
時期は遊びに事欠かない。地面に溜まった水たまりに水路を作りダムに
見立てた壁を立てて壊してはまた作っていた。そうだよねアスファルト
なんか車が頻繁に行き交う幹線道路だけだったもんね。雪融けが始まる
頃になると水たまりを長ぐつで蹴飛ばしながら歩くのが当たり前だった。
だから今でも子供たちが水たまりで遊んでいるのを見ると当時の自分の
姿にダブらせて微笑んでしまう。隠れ家のストーブを片付ける日はまだ
遠いけど、この蒸発ざらに見立てたお釜の器もそろそろお役御免の日が
来る。色褪せたイルカくんもお疲れさまとねぎらって差し上げなくちゃ
いけませんね・・・。(^^;)
  


Posted by 北の旅烏 at 09:17Comments(4)追憶。

2018年02月06日

魅惑。

今の時期は出不精も手伝って載せる写真がありませんので、苦肉の索と
過去の写真を引っ張り出して使うことにしました。グラスに登り魅惑の
液体を飲もうともがいているネズミくん。これはチョコエッグに付いて
きたキャラだと思います。今は禁酒の真っ只中。かれこれ450日目に
なろうとしています。だからこのネズミくんみたいに何がなんでも飲み
たいにはもうならなくなっています。さて、どのような展開にさせるか
このネズミくんにお伺いを立ててみますね・・・。(^^;)

・・とその前にウィスキーといえばバーボンをこよなく愛していた旅烏。
中でも I.W.ハーパーが大好きで、あしげく通っていたバーの棚にこれを
入れて悦に入っていたものです。海外に出かけた時には空港の免税店で
ワンランク上の I.W.ハーパー12年を買って待ち時間にボトルのフタを
グラス代わりにして飲んで酔っ払っていた記憶があります。自宅で飲む
ウィスキーはブラックニッカと決めていました。値段が手頃で飲む程に
感じる、まろやかな味わいがお気に入りでした。酔いがまわると銘柄は
関係なくなるのですね。過去形で語るのが辛い?ですけど。(^^;)
飲まなくなったウィスキーボトルはまだ本棚の奥に置きっ放しになって
います。3本のうち一本は未開封のまま。もう一つは小瓶に詰め替える
ためのもの。ボトルのキャップがアルミだと回す程に黒ずんでくるのが
気になっていたから。もう一つのポケットビンには一日に飲む量を頭に
叩き込むため用のもの。酔っぱらうとつい手が伸び飲みすぎになるから。
今はまだ3本とも捨てる気になっていません。だってこれらが手元から
無くなるのがとっても淋しいのです。たまに目にするたび頑張っている
旅烏を鼓舞してくれて励みにもなっているのです。そういえば私は子年。
このネズミくんは数ヶ月後の旅烏だったりして・・・。(^^;)  


Posted by 北の旅烏 at 08:48Comments(4)追憶。

2017年12月14日

戯言。

12月に入ると飾り付けをしていたクリスマスツリー。でも・・・

家族と相談して今年は出すのを止めることにした。年季が入っている
こともあり、箱から出すとビニールの葉が散乱しその量が年々増えて
きているからだ。遠い昔のことなのでおぼろげな記憶しか残っていな
いが、確か撮影で使う白熱球の点滅ライトを二つ買って仕事を終えた
あと私がそれをもらい受けた。その頃は安アパートでひとり暮らしを
していた。ツリーを買うにはあまりに淋し過ぎ。できることといえば
ライトを窓の縁に飾るのが精一杯だった。毎年クリスマスが近づくと
ツリーを飾って楽しむ家族が欲しくなったものだ。
それから何年か後、二度目の結婚をして娘が生まれた。いよいよ飾る
環境が整ったと点滅ライトを買った店でツリーを買う。当時は娘の倍
以上の高さがあった。取り出したツリーにモールを巻き、飾りつけが
終わると一気にクリスマスがやってきた。あのころを思い出すほどに
懐かしさが込み上げてくる・・・。
だがここ数年ツリーを出すのが億劫になり始めていた。代わり映えの
しないクリスマスツリーと終わった後の散乱する葉の後片づけが嫌に
なってきたのだ。苦労して飾っても恒例行事とわかっているのでワク
ワクする新鮮味がどこにも無い。だったら居間に飾る場所は決まって
いるので、ツリーを飾るなら50センチくらいのミニサイズを買えば
いいと思い始めています。だから今年はツリーを出さず点滅ライトや
サンタグッズ、そしてモールでアレンジしてみようかとね。この方が
毎回違う飾りつけが楽しめてワクワクしそう?ですから。(^^;)
  


Posted by 北の旅烏 at 08:57Comments(0)追憶。

2017年08月12日

雨日。

雨の日に似合う情景と言ったらなにを指すのかな?例えば・・・
アジサイの葉っぱにのっかったでんでん虫。霧雨のようにしっとりと
した雨がお似合いだ。でもかたつむりだって濡れるのが好きといえず
雨に当たらないよう葉の裏にひっついて雨が止むのを待っている筈だ。

雨日といえば思い出すのが小学生の頃。夏休みに入った初日から降り
やまぬ雨にどれだけ空を恨んだことか。よりによってこんな仕打ちを
しなくてもいいじゃないかとため息を繰り返し、外をぼーっと眺めて
いた。また家族して行くと決まった海水浴の日も、雨の日が多かった
気がします。父の休日は祝日と日曜日だけ。行くにはまた一週間待た
なければならない悔しさに玩具のピストルを空に向かって打ち続けて
いた。腹立たしさを向ける相手が空では叶わないことを百も承知でね。
やがて気が静まると見方を変えて、行かなかったことで事故に合わな
かったとか、溺れなかったとか良い方に解釈して夜を迎えていた。
今日から3連休が始まりましたね。旅烏は一年通して連休のまた連休。
雨が降ってもカサをさすうっとうしさがあるだけのうだうだな日々を
送っています。これでいい訳ないよね...と落ち込むこともありますが
大雪が降った日とか雷鳴轟く最悪の日でも出かける必要がないのです。
でも喜んでばかりいては、手痛いしっぺ返しがいつ来るかもわかりま
せんのこと...ですね。(冷や汗。じわり。^^;)
  


Posted by 北の旅烏 at 11:09Comments(4)追憶。

2017年08月11日

遍歴。

街中に住んでいた頃は、便利さだけを追い求めていた気がする・・・。

考えてみると私は何度引越しをしたのだろうか。ススキノ外れで生ま
れてから父の転勤で数度住居を変え、高校を卒業したころ郊外に我が
家が完成した。やがて私は独立しアパートでの独り住いが始まる。
当時の私の安給料ではマンションなど高嶺の花。トイレは共用、風呂
無しとまるで絵に描いたようなアパートだった。ここに決めた理由は
近くに北海道神宮があったこと。歩けば緑に囲まれた境内を散策する
ことができた。やがて結婚し引っ越をする。この時も交通の便がいい
街中に行こうとはせずに当時から高級住宅街と言われている宮の森に
決めた。ひとつでも心に納得させる「宮の森の看板」が欲しかったの
かもしれない・・・。
当時を思い出すと神宮の大火事がある。けたたましいサイレンの音に
外へ出ると人が集まり始めていた。聞くと北海道神宮が火事だという。
これは大変なことになったとカメラを手にし、一目散で走って行った。
神宮前には人だかりができ始めていたがサイレンの音だけで消防車は
まだ来ていない。めらめらと立ち上る炎と大量の煙り。気づくと私の
膝が震え出し、その場で立ちすくんでいた。消火活動が始まるころに
数枚の写真を撮ったように思うが今では記憶の底にあるだけだ。
そして紆余曲折を経て独身に戻る。引っ越した先は同じ宮の森。どれ
だけ「宮の森」というステータスに弱いのだろうか私は。(^^;)
暇さえあればカメラを手に円山公園に徒歩で出かけていた。ある日の
こと大型台風が札幌を直撃したことがある。大雨が連日連夜降り続き
道路が冠水したのを目にしたのは生まれて始めて。当時利用していた
地下鉄西28丁目駅の入り口に土嚢が積まれアスファルトが見えない
ほど水浸しだった。だから激しい雨が降ると当時を思い出す。
会社を退職して個人事務所を開いたのはこの頃だったような気がする。
連日押し寄せる仕事量と正比例するように月末に書く請求書の金額が
増えていった。やがて利便性を求めて街中に引っ越す。それは狸小路
6丁目だったかエレベーターがある2LDKマンション。ススキノは
目と鼻の先。毎晩飲んだっくれるにはこれ以上ない場所だった。その
ころの私は無茶をずいぶんしていたものだ。当時を懐かしむ...と言え
ない反省ばかりが思い起こされる・・・。(^^;)
そして現在のカミさんと出会ったのはこの頃だった。娘が生まれると
街中より郊外がいいと引越しを決める。そして今住まいしている場所
へと最後の?引越しをして今日に至っている。ここは交通の便がそれ
ほど良いとは言えないけれど近くを流れる新川の散策路が疲れた心を
和ませるのに充分なのである。自転車に乗ってぶらり石狩灯台へ行く
時や、街中に出向く時にもよくここを通っていた。今は徒歩散歩だけ
だが、辺りをゆっくり見ながら四季の移り変わりを楽しむことにして
います。アリさんを踏まないよう気をつけながら...ね。(^^)
なんか忘備録のようなつまらない書き込みをしてしまいました。忘れ
かけた過去を想い出すことで脳の活性化に?つながればいいのですが。
  


Posted by 北の旅烏 at 09:32Comments(5)追憶。

2017年06月20日

嗜好。

なんでもそうだけど、好きだからと食べ続けているとやがて手が伸び
なくなり未開封のままその辺に置き去りにされることってありますね。
最近の旅烏はカルパスがその良い例。あんなに好きだと豪語し食べて
いたのに数日前からピタリと手が伸びず放置状態。口寂しくなったら
居間のお菓子棚に入っているビスケットやクッキーを自室に持ち込み
つまんでいます。隠れ家でも同様でして。見ても食べたいにならない。
嗜好の変化というよりも飽きるまで食べ尽くすという子供の頃からの
習慣が災いしているのでしょうか。親から制限されると欲しいが倍に
膨らんで、絶対食べちゃるもんと親の目を盗んでこっそりつまみ食い
するのが得意でしたから・・・。(^^;)

当時よく食べたお菓子といえば「かりんとう」でした。学校から帰宅
するやいなや一目散でお菓子を取り出しカリカリ音を立てながら袋が
空になるまで食べていたものです。だから夕食時間が迫ってもお腹は
満腹状態。さらに睡魔までまとわりつき、眠い目をこすりつつ食べな
きゃまた怒られるとハシを進めていました。遊び疲れとお菓子で飽和
状態のお腹。やがて宿題をする頃には完全に睡魔にとりつかれ、目を
覚ますと布団の中でスヤスヤ...な〜んてことがよくありました。
はてさて「カルパス」の袋はいつ開けられるのでしょうか。このまま
賞味期限まで放置か。それとも数日後か。否々旅烏のことだから無理
やり食べちゃうもありそうです。しかし「カルパス」を食べていると
どうしてもウィスキーが飲みたくなるのですね。封印した飲みかけの
ボトルは捨てきれずに本棚に置かれたままなので手を伸ばせば・・・
ああ!ダメ。飲酒厳禁。禁酒厳守。絶対に。きっと多分...(^^;)  


Posted by 北の旅烏 at 11:10Comments(2)追憶。